〔紅の大地〕

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Photo by 津軽海渡

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  巾着田(きんちゃくだ)は高麗(こま)川に、まるで懸壅垂(けんようすい=のどちんこ)のように周囲を囲まれた広さ16.7haの田圃である。上空から観ればまさしく“巾着”のように見えることから、この名が付けられた。
 公称100万本との触れ込みで、全国放送のテレビでも度々報じられ、この数年の間に日本一の彼岸花の群落地として巷に広まった感のある巾着田だが、私が脚を運んだ9月25日は、開花期間の短い花が満開を迎えたことと晴天とが重なり、平日にも関わらず凄まじいばかりの花見客で賑わっていた。

花畑の赤い肉を縫うように、動脈のような散策路が幾筋か作られ、どの歩道も動脈硬化を起こした血流の如く、随所でその流れが滞っていた。
 スムースに動けない原因は、多くのカメラマン達が、花の撮影のために至る所で細胞に貼り付くコレステロール状に三脚を広げていることも原因しており、その中の一人である私も、できるだけ後方を行き交う人々の流れの邪魔にならぬように注意を払い、撮影を続けた。

それにしても、巾着田は、彼岸花の余りにも美しすぎる群生地である。此処がもっと交通の便が良い場所であったなら、秋の鎌倉を上回る観光客で溢れるに違いなかった。
 巾着田の彼岸花は、市(埼玉県日高市)で管理しているという。

 最寄駅となる『西武秩父線/高麗(こま)』駅に乗り入れる電車は、朝は7時台から、夜も6時台の列車が最終になるという何とも凄まじいローカルぶりだ。
 ピーク時で1時間に4本。それ以外は1時間に2本しか列車が来ない駅だから、帰りの時刻を気にしながらの撮影も、またまた骨が折れる。たとえ車で来たにしろ、早朝でもない限りは、たちまち渋滞に巻き込まれ、いずれにしろ閉口させられてしまうとのことであった。

巾着田に行って実際に辺りを眺めてみると判ると思うが、彼岸花は他の花たちとは違い、日当たりの悪い場所から順次咲き始める。つまり、他は満開であっても、陽がよく照り付けている場所では、まだ蕾という箇所も所々見受けられた。
 これだけ群生していているのだから、さぞ甘い匂いがするのだろうと思われる方もいるだろうが、そのような香りが一切しない花、それが彼岸花の特徴でもある。その証拠に、この季節ならまだまだ活動的な蜂はほとんど見かけることがなく、止まり木として羽を休めるトンボや、かろうじて蝶などが僅かに舞っている程度である。蝶が舞うのは、この時期、他に蜜を吸う花が乏しいこともあげられるような気がする。

文末に新たに『彼岸花に関して』との文章を書き加えたが、この彼岸花は、昔から人々の生活に密着してきたものの、決して寵愛されてきた花ではない。むしろ忌み嫌われてもきた。
 この花に触れてはならないとか、触れれば手が腫れるとか、年長者に脅された年配の方々も多いかと思う。その証拠に、この花には実におどろおどろしい別名が幾つも付けられている。

 しかし、そのような花でも、これだけ群生して咲き、また本日の写真のように陽光を浴びて輝く様を目にしてしまうと、決して縁起の悪いとされた花のようには思えなくなってしまうから不思議である。

『じめじめとしたありきたりの彼岸花の写真は絶対に撮らない!』
 陽光が眩しく降り注ぐ巾着田に着いた瞬間、私はそう心に決めて撮影し始めた。和製の陰鬱な彼岸花では決してなく、洋物のまるで蘭科のような、そんな華やかな野花として、レンズを絵筆に変えて演出できないものだろうかと思った。
 こうして、花以外の余計な被写体をできるだけ含ませることなく、ただ野に咲く彼岸花そのものだけを見つめ、約1600枚ほど撮影してきた。

今回の撮影で使用したカメラは、200210月現在のキヤノンのフラグシップデジタルカメラ『EOS 1D』である。11月になれば、画質では『EOS 1Ds』にその地位を譲る瀬戸際に立たされているカメラだ。400万画素台と風景写真を撮影するには、高画質カメラが次々と発表される今では、随分と心もとない画質に感じられるかも知れないが、この花畑の雰囲気を、私の写真を通じ少しでも皆さんに感じとって頂けたら、撮影者にとっても、この上ない喜びである。

最後に、撮影は全てRAWモードで行い、専用ドライバにて現像し、『Photoshop』にて、彩度やコントラストを調整したものを掲載している旨を御了承願いたい。

使用レンズ/『EF15mm Fisheye』/『EF16-35mm』/『EF35-350mm』/『SIGMA MIRROR 600mm』/『SIGMA MINI ZOOM MACRO 28-80o』

※1Dはシャッターを押してから実際に撮影されるまでのタイムラグが殆どないために、望遠を使った風景撮影でも、人垣が切れた一瞬を狙って撮影することができた。撮影にはレリーズと中判カメラ用の三脚を使用したが、この装備でもブレ防止機能のない『MIRROR 600mm』を使用した場合は、微妙に絵がブレる。それを防ぐために、撮影時には『ミラーアップ撮影』を実行した。この方法だと、格段に絵のブレが消える。
 1Dを購入してもうすぐ10ヶ月が過ぎようとしているが、まだまだこのカメラを存分に扱えるようになったとは言えない自分がもどかしくもある。

〔美人さん〕

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〔薄紅色の妖精〕

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〔蛍光色に輝く茎〕

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〔萌え燃ゆる〕

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〔紅の森〕

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〔光る草葉〕

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〔水辺の妖精〕

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〔緑と赤の絵画〕

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〔照る花〕

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〔木陰の華〕

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〔もっと光を〕

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〔マクロ〕

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〔白き語らい〕

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〔輝く彼岸花〕

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〜彼岸花に関して〜

『暑さ寒さも彼岸まで』
 その暑さも過ぎ去る秋の彼岸の頃に、墓地や畦道などに一斉に咲くことから、この花は、いつしかそう呼ばれるようになった。
 暑い盛りを避け、多くの花々が散った秋に、葉を茂らせるなどの前触れもなく、数日にして地中から伸びた長い茎に血のような深紅の花を咲かせることから、彼岸で還ってきた人の魂が宿っていると、忌み嫌われた頃もあった。 
 事実、気温が18℃〜20℃になると咲き出すこの花は、晩秋にひょっこりと葉を伸ばし、自然界に生きる多くの草花とは正反対の成長をし始める。故に、“葉見ず花見ず”という別名もあるほどである。

 彼岸花にはこの他にも、地方によってそれぞれ異名があり、全国では400もの方言で呼ばれていると謂う。
『幽霊花(ゆうれいばな)』『死人花(しびとばな)』『墓花(はかばな)』『捨児花(すてごばな)』『地獄花(じごくばな)』『狐松明(きつねのたいまつ)』『天蓋花(てんがいばな)』『毒花(どくばな)』『毒ユリ』『赤痢花(せきりばな)』『葬式花(そうしきばな)』 これらは皆、その一例である。

 もっとも有名な『曼珠沙華(まんじゅしゃげ)』と呼ばれるようになったのは、江戸時代になってからであり、梵語(古代インド語/サンスクリット)の『manjusaka』の音訳で、『これを見るものはおのずからにして悪業を離れる』という、『天から降った“赤い花”(四華)』から来ているという。
 四華(しけ)とは、法華経が説かれた時、これに先立って現れた法華六瑞、つまり六つの瑞相(ずいそう=吉兆)の一つとして、天から降ったとされる四種の蓮の意で、四種とは、白蓮華・大白蓮華・赤蓮華・大赤蓮華(白・青・紅・黄の四種の蓮華)を指す。そのため、この曼珠沙華には、『赤蓮華』との異名もある。
 曼珠沙華という漢字は、法華経の『摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)』から付けられた。因みに、曼陀羅華とは『朝鮮朝顔』の異名でもあり、かの華岡青洲が、日本で初めての乳癌の手術に用いられたことで知られる全身麻酔薬『通仙散』の原料となった花である。
 この曼陀羅華と同じように、曼珠沙華(ひがんばな)にも毒があり、子供の頃、花に触ると手が腫れるとか大人達に執拗に威嚇されて育った年配の方も多いのではないだろうか。朝鮮朝顔ほどの毒は持たないが、子供の手に触れさせないためにも、彼岸花はその美しさを庭先で愛でられることもなく、民家から離されてひっそりと育てられてきた。

 彼岸花の原産国は中国で、今から約2500年前の縄文時代後期に、稲作と共に渡来したとされている。その理由は、食物が尽きた時に食べる救荒(きゅうこう=飢饉をのり切り救うこと)作物だとされているが、その他にも畑や田園をモグラなどの害から守る意味もあったようだ。
 
先にも述べたように、彼岸花の鱗茎(りんけい)、つまり(ラッキョウに似た)球根や茎にはリコリンなどのアルカロイドを含む毒(植物塩素)が多く、これを人間が食すると嘔吐や下痢などの症状に悩まされる。
『赤痢花』との異名は、赤痢に似たこれらの症状がでるからだと推測されるが、鱗茎はモグラにとっては正に“彼岸”(あの世)へと旅立たせてくれる“花”であり、なぜかこの鱗茎を、モグラは好んで食べて、結果自殺することになるのだと謂う。
 皇居には数多くの彼岸花が植えられているが、このモグラの害から歴代天皇が収集してきた大切な草木を守る意味があるらしい。

 モグラなどの害を防ぐ他にも、
彼岸花の鱗茎は、地表近くに密集する特性があるため、土砂の流出を防止し、根の毒が他の雑草が茂ることも防いでくれるので、川岸の土手や田園の畦道などに好んで植えられてきた。そう言えば、彼岸花の群落地には、他に背の高い雑草が生えていないような気がする。この他にも、同じように鱗茎をすり潰した物を蔵の土壁に加えると、大切な穀物をネズミなどから守ってくれるとされ、日本でも永く実用化されてきた。

 彼岸花が墓地で多く見られる理由も、土葬をしてきた日本の歴史と無関係ではない。遺骸を小動物たちが掘り起こし食するのを防ぐためと、腐った人間の栄養を吸い雑草が勢いよく茂ることを防ぐ除草効果、それに、棺桶の腐敗と共に墓地が歪むのも防いでくれた。
 他にも、棺桶を囲むように四方に立てられる四華(上記参照)としての役割も彼岸花は担っており、仏教信仰と農耕民族たる日本人の暮らしと密接に関わってきた花とも言える。
 その証拠に、日本の彼岸花は三倍体(基本数の三倍の染色体を持つ生物体)不稔性(成熟した雌雄間に子孫を生じえないこと)のため、株分けでしか繁殖しえない。故に、厳密には自生は有り得なく、人里離れた山間部には群生しているのを見ないのも特徴である。(一部の品種には、種を付ける物もある)
 人里近く、しかも村々の畦道という、捨てるために人目につかない場所に、昔は赤児を放置したことから、『捨児花』との異名もあるほどだ。

 確かに、モグラやネズミにとっては猛毒の彼岸花だが、この鱗茎を叩いて十分に水にさらすと毒性が抜け、でんぷん質の豊かな食料となり、他の雑穀と混ぜてすいとんのような食物として食べることができる。これが先に記述した救荒作物たる由縁でもある。救荒作物にはこの他にも、我々に馴染みの多い食品では、ソバ・キクイモ・サツマイモ・ヒエなどがあげられる。

 彼岸花の育つ環境に最も適している場所は、冬はよく陽が当たり、夏場は木陰となる広葉樹林の下である。
 遮蔽物のない平らに均されたこの巾着田にて、茎の長い彼岸花の大群落地を作ることは、頭上の防風林の働きをする木々の管理も手間取り、育てるには容易ではなかったと想像できる。
 巾着田の木々を見上げ観察すると、太い木々は伐採され、風によくなびき、ほど良い木漏れ日を大地に作る、細い若木が使われていることが判る。

 日本では古来から嫌われてきた花だが、外国ではその美しさから殊に近年、観賞用として寵愛されている。
  和名はリコリス〔ヒガンバナ科リコリス(ヒガンバナ)属〕
  学名は『Lycoris spp.
  彼岸花の花言葉は『悲しい想い出』

 彼岸の頃、墓前に線香を手向けに向かうと、ひっそりと咲くまるで鬼火のような彼岸花の紅に目を奪われる。

 もしかしたら、あの児、あの人の魂かと想い、そっと花に語りかけると、愛する者の死んだ辛さが『悲しい想い出』となって甦ってきて、また泪が流れてしまう・・・。

 彼岸という日本の風習が育んだこの花は、野に咲く花としては、あまりにも赤く、美し過ぎたのかも知れない・・・。

200210月 津軽 海渡



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